【7分で読める短編小説】火を囲む日々2|原始の闇に灯る、兄妹の絆と心の物語

日常

火の揺れる洞窟で、若き狩人ルグと妹ニアが交わす小さな言葉と大きな想いを描いた物語です。
言葉がまだ未発達な時代、ぬくもりや不安、喜びといった感情が、目と手を通して確かに伝わっていく様子が胸に響きます。
狩りの緊張と帰る場所の温度、その対比が静かに心を満たしてくれる一編です。
夜、ひとりでゆっくり読みたいときや、深い余韻に浸りたい気分にぴったりです。

こんなときに読みたい短編です

  • 読了目安:7分ほど
  • 気分:静か/しみじみ温かい/原初的なつながり
  • おすすめ:家族との絆を確かめたい人、人の“はじまり”に思いを馳せたい人、火や自然の静けさに癒されたい人

あらすじ(ネタバレなし)

洞窟の火のそばで、ルグは自ら刻んだ壁画に見入る幼い妹・ニアの声に心を動かされます。
翌朝の狩りに向かうルグを、ニアは不安げに引き止めようとしますが、彼は優しく送り出されるように洞窟を後にします。
厳しい狩りの途中で仲間が負傷し、ルグは必死に背負って帰還。
その帰りを待ちわびていたニアの涙と抱擁に、ルグは守るべきものの重さを実感します。
その夜、ルグは新たな壁画を刻み始め、火の前で寄り添う兄妹の姿に、言葉より強い想いを刻んでいくのでした。

本編

夜の冷たい空気が洞窟の入口を満たしていた。
炎は小さく揺れ、ルグとニアの影を洞窟の壁に長く伸ばしている。

壁には、ルグが刻んだ鹿や仲間の絵がまだ乾ききらずに残っていた。
石の粉が光を受け、ところどころ鈍く輝いていた。

ルグは火のそばに座り、槍の先を磨いていた。
狩りに出る前の儀式のようなもの。
無言の作業なのに、胸の内はやけにざわついている。

「……アニ」

背後から、小さな声。

ニアが壁画の前に立ち、ルグを振り返っていた。
まだ幼い顔に、強い光が宿っている。

ルグは首を傾けた。
「何?」

ニアは壁を指さした。
「これ、すき。」

言葉は未熟で、音はまだぎこちない。
だが、そのひと言はまっすぐに届いた。

ルグは少し照れくさくなりながら、手を止めた。

「すき……か」

ニアは大きく頷いた。
「火、あったかい。絵も、あったかい。」

その言葉は、ルグの胸をじんと震わせた。
自分の描いた線が、誰かの心に触れた。
それは狩りの成功とはまた違う種類の喜びだった。

翌朝、森へ狩りに向かう支度をしていたルグの背中を、ニアが掴んだ。

「いかないで。」

ルグは振り返り、妹の小さな手を見下ろした。
言葉にできないほどの感情が、目ににじんでいる。

「すぐ戻る。大丈夫。」

ルグは短く言い、ニアの頭に手を置いた。
ニアは唇を噛み、涙をこらえるようにうつむく。

その姿を見て、ルグの胸のなかに、
“守らなければならないもの”がはっきりと形になる。

——守るために、狩りをする。
——帰るために、戦う。

雄叫びのように息を吐き、ルグは仲間のもとへ向かった。

狩りは失敗だった。

獲物の巨獣に追い詰められ、仲間のひとりが脚を負傷した。
雪が降り始め、山の冷気は容赦なかった。

ルグの背に負傷者を乗せ、洞窟へ戻る。
息が裂けるほど苦しいのに、頭の中に浮かぶのはニアの顔だった。

いかないで。

その声が、何度も胸にこだました。

洞窟に着くと、ルグは膝をついた。
仲間が手当てをしている間、ぼんやりと火を見つめる。

すると小さな影が駆け寄ってきた。

「アニ!」

ニアがルグに抱きつく。
細い腕が、必死に兄を掴んで離さない。

「かえって、きた……」

ニアがそう言って泣き出したとき、
ルグの胸が大きく揺れた。

狩りの成功より、肉の分け前より、
この瞬間のほうが重かった。

命をつなぐものは、武力ではなく——
寄り添う温度なのだと。

ルグはニアの背中に腕を回し、
火のそばで静かに抱きしめた。

「帰る。必ず、帰る。」

言葉は短いが、心ははっきり伝わった。

その夜、ルグは再び壁の前に立った。
ニアは隣でしゃがみ、火の光を見つめていた。

ルグは石片を取り、壁に新しい線を描き始めた。

ぎこちない線。
だが、今回は鹿でも槍でもない。

手を握る二人の姿。

小さな手、大きな手。
火の前で寄り添う兄妹。
それを描きながら、ルグは胸の奥が静かに満たされていくのを感じた。

ニアは絵を見て、目を丸くする。

「だれ?」

ルグは笑った。
「おれ。と、ニア。」

ニアは一度壁を、そしてルグを見た。
次の瞬間、彼女は兄の手をそっと握った。

「ずっと、いっしょ。」

言葉は不完全。
しかし想いは、完全だった。

火がぱちりと音を立て、影を大きく揺らす。

その影は、壁画の二人の手と重なるように踊った。

——火は、人をつなぐ。
——絵は、心を残す。

ここにはもう、孤独はなかった。

兄妹の絆は、火の光の下で強く、静かに燃えていた。

いつか言葉が生まれるその日まで、
彼らは目と手で伝え合うのだろう。

そして、壁に刻まれた物語は、
遠い未来にも残り続ける。

火に照らされた小さな兄妹の影とともに。

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