【5分で読める短編小説】名札の裏にハートマーク|バトンがつないだ、ささやかな恋の予感

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会社のスポーツ大会で偶然ペアになった陽菜と悠斗。
ふだんは遠くから見ていた年上社員との距離が、バトンの受け渡しとともに少しずつ縮まっていきます。
さりげない気遣い、指先の温度、そして——名札の裏に残された小さなハート。
日常の中の「ほんの少しの勇気」が、月曜日を特別に変えていく物語です。
週の始まりに、ふわっと心が軽くなるような短編です。

こんなときに読みたい短編です

  • 読了目安:6分ほど
  • 気分:ときめき/やわらかい励まし/すこし背中を押してほしい
  • おすすめ:職場のささやかな交流に心が温まる人、恋が始まる瞬間の空気が好きな人、月曜日を少し優しく迎えたい人

あらすじ(ネタバレなし)

会社のスポーツ大会で、急きょリレーのペアに選ばれた陽菜。
相手の悠斗は、仕事ではあまり接点のない年上社員だった。
練習で並走するうち、優しい声のかけ方や歩幅の合わせ方が胸に残り、バトンを渡した瞬間の指先の温度が陽菜を不思議に勇気づけていく。
大会後、名札を外した陽菜は、裏に添えられた小さなメッセージとハートマークに気づく。
それは控えめだけれど確かな“合図”のようだった——。
週明け、いつもの時間に会った悠斗の笑顔は、陽菜の一週間をそっと明るく照らし始める。

本編

会社のスポーツ大会当日。
広い体育館には、部署ごとの色とりどりのTシャツが並び、
応援の声とスニーカーの音が反響していた。

経理部の陽菜は、会場隅の壁ぎわでそわそわしていた。
急な欠員で、リレーのペアが変更されたのだ。
その相手は——営業部の悠斗。
物腰が落ち着いていて、仕事では遠くから眺めるだけだった年上社員。

「陽菜さん? よろしくね」
声をかけられ、陽菜はびくっと肩を揺らした。

「あっ、はいっ! よろしく、お願いします……!」

思ったより近くに来ていた悠斗が、困ったように微笑んだ。
「そんなに緊張しなくて大丈夫だよ。リレーは楽しむものだから」

笑いじょうずな人だ、と陽菜は思った。

リレーは三十分後。
その前に二人でバトンの練習をすることになった。

「陽菜さん、走るの速い?」
「中学以来、まともに走ってなくて……」
「じゃあ、無理しないペースで。僕が合わせるから」

悠斗は走り方も、声のかけ方も優しかった。
陽菜の速度に合わせて並走し、バトンを渡すタイミングも丁寧に教えてくれる。

「陽菜さん、右手で受けるほうが自然?」
「え、あ、はい。右のほうが……」
「じゃあ右でいこう。ほら、やってみて」

渡されたバトンが、そっと手に触れた瞬間、
陽菜は胸の奥がふわっと熱くなるのを感じた。
ただの練習なのに、妙に鼓動が速い。

「……上手いじゃん」
「え、ほんとですか?」
「ほんと。安心した」

彼の柔らかな眼差しに、陽菜は思わず視線をそらした。

リレー直前。
経理部の仲間が「陽菜ー!がんばれー!」と声を張り上げる。
しかし、陽菜の耳に最初に入った声は違った。

「陽菜さん、怪我だけはしないようにね。僕、ちゃんと受け取るから」

悠斗はスタート地点の向こうで、穏やかに手を振っていた。
胸がぎゅっと締めつけられる。
仕事では、こんな顔を見せてくれたことなんてないのに。

スタートの合図。
陽菜は必死で走り、呼吸が乱れて、脚がもつれそうになる。

けれど——。

「陽菜さん、こっち!」

息が切れても、その声を追いかけた。
差し出したバトンを、悠斗の手がしっかりと掴む。
その瞬間、指先がほんの一瞬触れた。

わずかな熱が、胸の奥まで伝わった。

悠斗はバトンを受け取ると、振り返らずに一気に加速した。
その背中を見送りながら、陽菜は思った。

——ああ、このペアで良かった。

競技後、参加者には配られた名札を返却することになっていた。
陽菜は自分のTシャツから名札を外しながら、
裏に小さなペンの跡があることに気づいた。

なんだろう?と裏返した瞬間——目を疑った。

《がんばったね。
 また月曜に。 悠斗♡》

小さくて、控えめで、消されそうなくらい薄いハート。
それなのに、心臓の音が跳ねた。

陽菜は誰もいないベンチに座り込み、名札を握りしめた。
頬が熱い。
呼吸がうまく整わない。

(え……これ、どういう……?)

けれど答えのかわりに、淡い期待が胸にふくらんだ。
バトンを受け渡す瞬間の手の温度。
大会前のゆるい笑顔。
そして、名札の裏の小さなハートマーク。

全部が、“次の月曜日”を少し特別なものに変えていた。

三日後。
いつものエレベーターホール。
扉が開くと、そこには悠斗が立っていた。

「おはよう、陽菜さん」
その笑顔は、スポーツ大会の日と同じだった。
でもどこか、ほんの少しだけ距離が近い。

陽菜は深呼吸し、思い切って言った。

「あの……名札……ありがとうございました」

悠斗は一瞬だけ照れたように目を細めた。
「見つかった?」
「はい。……すごく、嬉しかったです」

「それなら良かった。
またどこかで、バトン渡せるといいね」

その言葉に、陽菜の頬がほんのり熱く染まった。

いつもの月曜日なのに、
隣を歩く足音が、少しだけ軽い。

名札の裏に描かれた小さなハートが、
そっと新しい一週間を彩っていた。

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