【5分で読める短編小説】放課後のサボり坂|“となりで歩く”距離が少しずつ心を変えていく

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強歩大会から数日。
夕焼けの坂道で再び並んだ春樹と結月が、ゆっくりと心の距離を縮めていく物語です。
部活の声が遠くなる放課後の空気、胸の奥でほんの少し勇気が灯る瞬間——。
“誰かと歩く”というささやかな温度が描かれ、読み終えたあとにやさしい余韻が残ります。
学校帰りや、少し気持ちを整えたい日のひと呼吸におすすめです。

こんなときに読みたい短編です

  • 読了目安:6分ほど
  • 気分:青春/淡いときめき/前向きになれる
  • おすすめ:誰かと並んで歩く心地よさを思い出したい人、放課後の空気が好きな人、恋の始まりの“距離感”にときめく人

あらすじ(ネタバレなし)

強歩大会から三日。
春樹は結月の「またとなり歩く?」という言葉を胸に、校舎裏の“サボり坂”へ向かう。
来るはずがない——そう思った瞬間、結月が練習帰りに息を弾ませて現れる。
夕焼けの坂で並んで歩きながら、強歩大会の日の思いと、互いの距離に生まれた変化を確かめ合うふたり。
「となりで歩く」その一言が、春樹の胸にまた小さな勇気を灯し、夕暮れの坂道は、日常の中で特別な場所へ変わっていくのだった。

本編

強歩大会から三日後。
春樹は、なんとなく時計を見る時間が増えていた。

放課後、靴を履き替え、校舎の裏にある細い坂道へ向かう。
ひっそりとしたその場所は、生徒たちから“サボり坂”と呼ばれていた。
部活の集合にも、委員会にも行かず、ただぼんやりするための空間。

けれど春樹にとっては違う意味を持ち始めていた。
結月が、強歩大会の最後に言った言葉が頭から離れなかった。

——また“となり”歩く?

その答えを、あの日すぐに伝えた気もするし、伝え損ねた気もする。
だから今日、もう一度ちゃんと伝えたかった。

坂道に着くと、誰もいない。
夕焼けの光が、アスファルトを金色に照らしていた。

(来ない……よな。部活で忙しいし)

そう思いかけたとき、ふいに影が伸びた。

「春樹くん、来てたんだ」

振り向くと、ジャージ姿の結月が息を弾ませて立っていた。
髪は少し汗を帯び、額にかかった前髪を指で払っている。
その姿に、春樹の胸が少しだけ跳ねた。

「練習の帰り?」
「うん。……少し寄ってみたくなった」

結月はそう言って、春樹の隣に立った。
文字通り、“となり”に。
その距離は強歩大会の日とほとんど同じだった。

「強歩大会……お疲れさま」
「そっちこそ。結月さんのほうが走ってたみたいだったけど」

結月はふっと笑う。
「歩くのに慣れちゃって、ペース落とせなくてさ。でも春樹くんが一緒で良かった」

「え?」
「ひとりで歩いてたら、ただの練習だったと思う。
……誰かと歩くのも、悪くないんだって気づいた」

春樹は少しの沈黙のあと、勇気を出して口を開いた。
「あのさ。結月さんが、あの日言ってくれたこと……覚えてる?」

「なに?」
「“またとなり歩く?”って」

結月は黙って、空を見上げた。
夕焼けの赤が、彼女の横顔をやわらかく染める。

「うん。覚えてるよ」

「僕……あれ、すごく嬉しかった」

結月がこちらを見た。
その目はまっすぐで、強歩大会のときと同じ強さとあたたかさを宿していた。

二人は並んだまま、坂道をゆっくり歩く。
どちらが先を歩くわけでもなく、自然に同じ歩幅になる。
春樹は不思議だった。
結月と歩くと、苦しくない。
むしろ呼吸が合って、心が少し軽い。

「ねえ、春樹くん。ひとつ聞いていい?」
「う、うん」
「強歩大会の最後、なんであんなに頑張れたの?」

春樹は思わず照れ笑いした。
「結月さんがいたから、かな」

結月は驚いて足を止めた。
「わたしが?」

「うん。……僕、ずっと自信なかったけど、
結月さんが“強いじゃん”って言ってくれたから。
あの一言で、あと一歩が出たんだよ」

結月は、少し俯きながら笑った。
「そんなことで……動くんだ」

「そんなこと、じゃないよ」
春樹も歩みを止め、彼女の横顔を見る。
「結月さんの言葉だったから、動いたんだよ」

結月の頬が、夕陽より赤く見えた。

「……ねえ、春樹くん」
「うん」

結月は、少しだけ歩幅を近づけた。
まるで肩が触れそうなほどの距離。

「この坂さ。ひとりだと苦手なんだ」
「え?」
「サボってるみたいで、罪悪感あるし。
でも……春樹くんとなら、ちょっと好きになれそう」

春樹の心が一気に跳ねた。
鼓動の音が自分だけ聞こえている気がして、落ち着かない。

「じゃあ……」
春樹は小声で言った。
「これからも、時々ここで歩く?」

「うん。歩く」
結月は迷いもなく言った。
「となりで、ね」

二人は笑い、再び歩き出した。

夕陽が傾き、影がゆっくり長く伸びていく。
その影は、ふたつではなく——
なぜかひとつに寄り添って見えた。

坂を下りきるころには、校舎の窓に灯りがともっていた。
部活動の声が遠くで響く。
ふたりは立ち止まり、まるで同時に息を吸った。

「また明日も、歩ける?」
「うん。もちろん」

春樹は思った。
強歩大会は一日で終わったけれど、
“となりで歩く日々”は今から始まるんだ、と。

結月と並んだ夕暮れの坂道は、強歩大会よりずっと短いはずなのに、
今日歩いた距離のほうがずっと大切に感じられた。

「結月さん」
春樹が勇気を込めて呼ぶと、
彼女は優しく浮かんだ月のような笑みを返した。

「また一歩、進めたね」

春樹は胸の奥で静かにうなずいた。

——あと一歩、となりで。
その一歩が、これからの毎日を変えていく。

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