【7分で読める短編小説】カフェ・リブート|父の味を胸に、再出発へそっと踏み出す物語

ドラマ

失敗と挫折を抱えて故郷に戻った沙耶が、父の喫茶店を再び開くことで“自分のリブート”に向き合う物語です。
派手さはないけれど、人の心を温めるようなコーヒーの香りと、小さな町のやさしいまなざしが胸に沁みていきます。
崩れた日々の続きを、誠実に積みなおしていく主人公の姿に、読み終えたあとそっと背中を押されるはず。
夜のティータイムや、気持ちを整えたいひとときにぴったりの短編です。

こんなときに読みたい短編です

  • 読了目安:7分ほど
  • 気分:ほんのり前向き/じんわり温かい/再出発の勇気
  • おすすめ:失敗から立ち直りたい人、家族や故郷の記憶に支えられたい人、静かな努力を続ける物語が好きな人

あらすじ(ネタバレなし)

起業に失敗し、心が摩耗したまま故郷へ戻った沙耶。
彼女は父が営んでいた喫茶店《珈琲みなみ》を継ぐことを決めるが、開店初日は客足が伸びず、再出発の難しさに胸が沈む。
しかし、父のレシピ帳に残された「喫茶の味は、人の時間を預かること」という言葉が、沙耶の背中を静かに押す。
再び父の味で勝負すると決めた日から、少しずつ店には笑顔が戻り、沙耶もまた立ち上がる強さを取り戻していく。
同級生からの励ましの手紙に触れたとき、沙耶は胸の奥でそっと確信する——ここからが、自分の新しいスタートなのだと。

本編

駅前から少し外れた商店街の奥に、古びた木の看板が揺れている。
《珈琲 みなみ》
かつて父が40年続けた喫茶店。
今は、ほこりっぽいガラス越しに“再開準備中”の紙が貼られている。

沙耶は深く息を吐いた。
看板の色あせ具合が、自分の胸のざらつきとやけに重なる。

起業に失敗。借金。都心のシェアオフィスで夢を語っていた頃とは、真逆の場所。
「はぁ……まさか、またここに戻るなんて」

けれど、逃げ帰ったわけではない。
帰る場所を、自分で選んだのだ。

開店初日。
カウンターには、父の形見のエプロン。
棚には、使い古された豆のキャニスター。
黒板には、震える字で書いたメニュー。

——でも、お客は来ない。

「ここ、営業してたんだ?」
通りがかったおばさんの一言に、胸が刺さった。

SNSで告知もした。
メニューも現代風にアレンジした。
でも、椅子は一脚も温まらないまま日が暮れる。

帰り際、鏡に映った自分の疲れた顔。
都会で消耗した時と同じ顔だと気づき、背筋が寒くなった。

「本当に……できるのかな」

だがその時、カウンター下の箱から古びたノートが落ちてきた。
父のレシピ帳。
「喫茶の味は、人の時間を預かること」
ページの端に、父の字がかすれて残っていた。

涙が滲んだ。
“味”だけじゃない。
“気持ち”が味になる。

その夜、沙耶はメニューを全部見直した。
トレンドより、記憶に残るもの。
映えるより、沁みるもの。

「よし……明日から、父の味で勝負する」

二週間後。
扉が開き、年配の男性がゆっくりと入ってきた。

「……南さんの娘さんかい?」
「はい。覚えていてくださったんですか?」
「そりゃあね。ここでよく、商談したものだ」

沙耶は深く頭を下げた。
「特別なことはできませんが、父のブレンド、淹れさせてください」

湯を注ぐ音。
コーヒーが膨らみ、香りが店いっぱいに広がる。

「……うん。変わらない。いい時間だ」
男は笑った。
その笑顔を見るだけで、胸の奥が温まった。

その日、男はSNSに一言投稿した。
《昔の味が、帰ってきた》

それが、小さな火種になった。

数日後。
「ここ、噂で聞いてきたんです」
「南さんのナポリタン、また食べられると聞いて」
常連だった老人から、子育て中の母親まで、少しずつ客が増えていく。

「ここ、落ち着くわね」
「コーヒーの香り、懐かしい」
「娘さん、頑張ってるね」

冷たい視線だけだった通りに、少しずつ優しい声が混ざり始めた。

沙耶は笑顔で答えながら、カウンターの内側でそっと拳を握った。
「ありがとうございます。ゆっくりしていってください」

借金はまだ多いし、失敗の記憶も消えない。
でも、今日はちゃんと胸を張れる。

「誠実に続けよう。地味でも、一杯ずつ」
父の言葉が、レシピ帳から静かに響く。

閉店後。
カウンターで電気を消そうとしたとき、扉がそっと開いた。

「今日、来られなかったけど……どうしても挨拶したくて」

同級生の恭子だった。
東京で華やかに働く、かつての憧れ。

「沙耶、戻ってきたんだね。……すごいよ」
「何が?」
「ちゃんと立ち上がったじゃない。私、逃げたときは実家にも帰れなかった」

沙耶は静かに笑った。
「まだ、立ち上がり途中。ぐらぐらしてるけどね」
「でも、前向いてる」

恭子は手紙を置いて帰っていった。

開いてみると、短い言葉。

《迷ったら、またここで温まらせてね。
あなたの再起、応援してる。》

灯りの消えた店内で、沙耶は目を閉じる。
敗北も、痛みも、全部ここに置いていい。

明日もまた、コーヒーを淹れる。
焦らない、誇張しない、誤魔化さない。
父が守った味を、今の自分の誠実さで繋ぐ。

店の外には、夜風とわずかなコーヒーの香り。

「ここからが、本当のリブート」

声にしてみると、不思議と胸が軽くなった。
まだ誰もいない店内で、沙耶はカウンターをそっと撫でた。

再出発の温度は、ゆっくりと、でも確実に広がっていく。

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