【7分で読める短編小説】証言の温度|震える声が示す“真実の気配”を追う刑事の物語

ミステリー

暴行事件の証言に揺れる少女と、その“声の温度”に違和感を抱いた刑事・相沢真理子を描く物語です。
迷いを抱えたまま語られる言葉、整えられた証言の裏に潜む痛み。
真理子は、少女の震えが示す“守りたい何か”を感じ取り、表に見える犯人像だけでなく、本当の危機へと静かに踏み込んでいきます。
心理描写が丁寧で、読み終えたあと胸の奥がじんわり熱くなるような短編です。
落ち着いた夜の時間や、心の機微に触れたいときにそっと寄り添ってくれます。

こんなときに読みたい短編です

  • 読了目安:7分ほど
  • 気分:張りつめた静けさ/やさしい緊張/心の奥の真実に触れたい
  • おすすめ:人の声の裏側を読み取りたい人、ヒューマンドラマとしての捜査ものが好きな人、誰かを“守る”という言葉に強さを感じる人

あらすじ(ネタバレなし)

暴行事件の容疑者を断言する少女の証言に、刑事・相沢真理子はどこか温度の欠けた違和感を覚える。
明瞭な言葉とは裏腹に怯えをにじませる視線や震え——それは、誰かを守ろうとして無理に整えられた声に思えた。
翌日、少女と共に事件現場を訪れた真理子は、少女の胸に押し込められていた“本当の理由”に触れ、言葉では語られない真実を知ることになる。
見える証拠だけでなく、声の温度から読み取れるものがある——真理子はそう噛みしめながら、本当の捜査へ静かに歩み出していくのだった。

本編

「——確かです。男の人が、あの人を殴ってました」

会議室の片隅。
制服の袖を握りしめ、少女は震える声で言った。
相沢真理子は、そっとその様子を見つめていた。

暴行事件。
被害者は意識不明。
容疑者とされる男は、近所でも問題を抱える人物。
捜査本部は早期解決を狙っていた。

「この証言があれば十分だな」
上司が満足げに言う。
だが真理子は、胸の奥にひっかかりを覚えていた。

少女の目は、犯人を断言するわりに、どこか怯えた光を宿していた。
その言葉は明瞭だが、温度がなかった。
まるで、何かを守るために整えられた言葉のようだった。

事情聴取が終わり、少女が部屋を出る。
真理子はその後ろ姿を追った。

「ちょっといい?」
声をかけると、少女は振り向いた。

「怖かったね。よく話してくれた」
そう言うと、少女の肩が少し震えた。
強く張っていた背が、ふっと緩む。

「……はい」

真理子は静かに続けた。
「でも、あなた、誰かをかばっているの?」

少女の呼吸が止まった。
唇が震える。
しかし即座に言葉を返した。
「ち、違います……私、本当のことを——」

その声は、先ほどよりも冷たかった。
拒絶というより、自己防衛のように。
真理子はそれ以上問わず、優しく微笑んだ。

「わかった。また話したくなったら、いつでも来て」

少女はうつむいたまま、小さく会釈して去った。

夜。
事務所に残り、事件資料を見返していると、同僚がぼそりと言った。

「相沢さん、また直感ですか。あの子の証言で決まりですよ」

真理子は紙束を置き、窓の外を見た。
街灯の光が雨粒を照らし、滲む。

「直感じゃない。声の震え、手の位置、視線……
“信じてほしい”って震えと、“見ないでほしい”って震えは違うの」

それは、真理子が過去に学んだことだった。
逃げ場を失った人の声は、不思議と凪いでいる。
静かで、でも痛いほど切実だ。

少女の声は——違った。
誰かのために言葉を選んだ苦さがあった。

翌朝。
学校へ向かう少女を、真理子はそっと呼び止めた。

「ねえ、昨日の場所、案内してくれる?」
「……どうして?」
「現場に立つと、思い出すこともある。焦らなくていい」

少女は迷い、そしてうなずいた。

現場は薄暗い路地。
雨の匂いが残っている。

少女は立ち止まり、真理子を見上げた。
その目は、昨日より痛々しいほど弱かった。

「……ごめんなさい。私、見てない」

その言葉は、涙に溶けながら零れた。

「でも、言わなきゃと思ったの。あの人を庇ったら……
お母さんが、また殴られるかもしれないから」

真理子はゆっくり息を吸った。
“あの人”とは、容疑者のことではない。
少女の家にいる“暴力の本当の中心”だ。

少女は震える声で続けた。
「だから、ちゃんとした証言しなきゃって……」

真理子はそっとしゃがみ、少女の目線と合わせた。

「あなたは間違ってない。よくひとりで耐えたね」

その瞬間、少女の膝が崩れ落ち、真理子の腕にすがった。

署に戻ると、上司が怪訝な顔で言う。
「証言崩したのか? あの容疑者は——」

「真犯人を捉えたいなら、見えるものだけで判断しないでください」
真理子の声は静かだった。

「証拠も必要。でも、証言の温度が教えてくれるものがある」

上司は息を呑み、言葉を失った。

真理子はデスクに置かれた資料をそっと閉じた。
その心には、少女の震える手の温度がまだ残っていた。

“守る”という言葉は、制服よりずっと重い。
だからこそ、間違えられない。

真理子はそう噛みしめながら、捜査を見つめ続けていた。

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