旅人アイルが迷い込んだのは、星の声を宿すといわれる不思議な古木のもとでした。
静かな山間の夜、彼の前に現れたのは「星の言葉を聞く」少女。二人の出会いが、忘れていた祈りや失われた記憶にそっと触れていきます。
幻想的で少し切ない雰囲気が漂う物語を、寝る前のひとときや落ち着きたい時間にどうぞ。
星の瞬きが胸の奥をそっと照らすような、やわらかな読後感の短編です。
こんなときに読みたい短編です
- 読了目安:5分前後
- 気分:幻想的/少し切ないけれどあたたかい
- おすすめ:静かな物語で気持ちを整えたい人、失くしたものや忘れかけた願いを思い出したい夜に
あらすじ(ネタバレなし)
旅人アイルは、なくしてしまった大切なものを探しながら、地図にない道を歩き続けています。
満天の星が広がる夜、山脈の谷間に立つ一本の古木の前で休んでいた彼の前に、「星の言葉を聞く」と名乗る不思議な少女が現れます。
少女によれば、その古木には星々が見てきた世界の記憶が眠っているのだといいます。
アイルは彼女の導きで、星が語る“かつての世界”の断片を垣間見ることに。
胸の奥に空いた穴の理由を知らないまま、ただ何か大切なものを求めて歩くアイルの心に、星のささやきがそっとしみ込んでいきます。
本編
アイルは旅人だった。
地図にない道を行き、名も知らぬ風を背に受け、夜になると空を仰いだ。
願いはただひとつ。
——いつか、なくした大切なものにたどり着くこと。
けれど星は、いつも黙ったままだった。
光は降るのに、答えは返らない。
それでもアイルは、夜ごとささやきを空へ放ち続けた。
その晩、満天の星が空を埋め尽くしていた。
雄大な山脈の間にひっそりと立つ一本の古木。
枝はねじれ、幹には古い傷が刻まれている。
「——こんなところに、世界の端があったとはね」
アイルが木の根元に腰を下ろしたとき、ふいに声がした。
「星に願う旅人さん?」
振り返ると、そこに少女が立っていた。
白い髪が夜風に揺れ、その瞳は星明かりを映して青く光っている。
「だれ……?」
「星の言葉を聞く者。ここでは、そう呼ばれてるの」
少女はそっと古木に触れた。
それだけで、枝先が微かに揺れる。
「この木はね、星の声を地に根づかせる樹よ」
「星の声?」
「うん。星は見てきたことを語るの。だけど人は、もう耳を澄まさなくなった」
アイルの胸が小さく震えた。
何か、深い記憶の底を掬われたような感覚。
「君は……星と話せるの?」
少女は微笑んだ。
「話すというより、聞くの。星が見た世界、忘れられた涙、紡がれた祈り。
それらは全部、この樹の中で眠ってる」
風が吹いた。
葉がそよぐ音が、まるで遠い昔の語りのように響く。
「君にも聞かせてあげる。星のささやき」
少女が目を閉じると、世界が静まり返った。
そして、空の奥から歌のような声が降りてきた。
——ひとは忘れた。
——けれど、星は覚えている。
——やさしい祈りで満ちていた日々。
——失われた約束。
アイルの視界に、古い世界の幻が広がる。
水面に揺れる光、子どもたちの笑い声、歌うように風が吹いていた。
そこにいた人々は、星と言葉を交わし、夜空を友としていた。
けれど景色はやがて暗転した。
炎。涙。星に背を向けた影。
争いと無知と孤独が、世界を静かに閉ざしていく。
「……あれが、かつての世界」
少女の声は、震えていた。
「星はね、忘れてほしくないの。人がやさしかったころのこと」
アイルは拳を握る。
胸の奥、失ったものの輪郭がにじむ。
「僕は……大切な人を探している」
「その人も、星に祈った?」
「わからない。でも、きっと……」
少女はうなずいた。
「星はね、願いを叶えるわけじゃないの。でも、願いを忘れないようにそっと照らしてくれる」
アイルの頬を、ひとすじの涙が伝った。
理由はわからない。
ただ、胸の奥の空白が少しだけ満たされた気がした。
「君は……この樹と一緒にいるの?」
「ええ。私も、星に生かされた子だから」
「いつまで?」
少女は空を見上げた。
「風が、最後の歌を運ぶ日まで」
その瞳には、永い時を越える孤独と、揺るがぬ優しさが宿っていた。
アイルは一歩、少女に近づく。
「じゃあ……少しだけ、ここにいさせてくれる?」
「もちろん」
夜空が、静かに微笑む。
星々は淡く瞬き、古木の葉は風に揺れた。
——君が道を見失いそうなとき
——星は、もう一度照らしてくれる
アイルは空を見上げる。
忘れたくない願いが、胸にそっと戻ってくる。
旅は続く。
けれど今夜の星々は、昨日より少しあたたかかった。
そして古木の下で、二つの影は静かに夜をわかちあった。
星のささやきが、世界に溶けていく。

