水曜の朝だけ少し胸が弾む——そんな小さなルーティンを大切にしている主人公・千紗。
忙しさが当たり前になった職場で、彼女は“プリンの水曜”を心の拠り所にしています。
同じプリンを手にした静かな同僚・木戸との、ささやかで温かな交流が生まれる物語です。
通勤途中や仕事の合間に、ふっと気持ちをゆるめたいときに読みやすい短編です。
こんなときに読みたい短編です
- 読了目安:5分
- 気分:ほっこり/ささやかな幸せに気づきたくなる
- おすすめ:毎日が少し忙しい人、職場でのさりげない交流に救われた経験がある人、小さなご褒美を大切にしたい人
あらすじ(ネタバレなし)
水曜だけ発売される“とろ生プリン”を楽しみにしている千紗。
その日もコンビニでプリンを手にしたところ、同僚の木戸も同じものを買っていたことが分かり、自然と会話が弾みます。
控えめな彼とのやり取りは不思議と心地よく、千紗は久しぶりに職場で笑う自分に気づきます。
午後の仕事を乗り越えたあと、ふたりは会議室で一緒にプリンを味わうことに。
ほんのささやかな時間が、千紗の水曜日を静かに変え始めていきます。
本編
水曜日の朝は、少しだけ胸が弾む。
まだ眠気の抜けない通勤電車の中で、千紗はスマホを開いた。
――本日発売、新作“とろ生プリン”
その文字を見るだけで、気持ちが少し浮いた。
仕事は嫌いじゃない。
ただ、何かをやり遂げたと思う前に次が降ってくる。
「忙しいね」があいさつみたいな職場。
だから千紗は、週に一度の“プリンの水曜”を心の定点にしていた。
昼休み、コンビニの前で並ぶ。
並ぶといっても二、三人。だけど、その小さな時間が好きだった。
レジ袋に入ったプリンが、手の中で冷たく重い。ずっしりと、期待が詰まっている。
「カラメルは、あとがけ…か」
小さな透明カップの中、黄金色のソースが揺れている。
それだけで少し笑みがこぼれる。
会社に戻ろうとしたとき、後ろから声がした。
「それ、買ったんですね」
振り向くと、同僚の木戸が同じ袋を提げていた。
普段は静かで、会議でもほとんど発言しない。
そんな彼が、少し照れたように笑う。
「実は僕も、毎週楽しみにしてて…」
「え、そうなんですか?」
「はい。今日の、当たりっぽいですよね」
不思議だった。
ただ同じプリンを持っているだけで、こんなに会話が進むなんて。
「千紗さんは、カラメルかける派ですか?」
「え? あ、わたしは……あとがけです」
「よかった。先に全部かける派だったらどうしようかと」
ふたりして小さく笑った。
笑いながら、千紗は気づく。
こんなふうに職場の人と笑うの、いつぶりだろう。
午後のデスク。
パソコンの前に置いたプリンの影が、蛍光灯を受けて淡く伸びる。
「さて、ここからが山場だ」
千紗は深呼吸して資料に向かった。
数時間後、集中の波を越えた頃。
隣の席からそっと声がする。
「そろそろ……プリンの時間ですかね」
木戸がカップを取り出していた。
「いいですね、いっしょに食べます?」
「あ、ぜひ」
会議室の片隅。
窓から冬の光が差し込んでいた。
ふたりは同時にフィルムを剥がし、同じ音でカラメルの袋を開く。
とろり。
深い琥珀色が、ゆっくりとプリンの上に落ちていく。
甘さがほどける音が、聞こえる気がした。
「……おいしい」
「ほんとだ」
それだけで充分だった。
仕事の話でもなく、将来の不安でもなく、ただ一口ごとの幸せを分かち合う。
それがこんなにあたたかいなんて、知らなかった。
「また来週も、新作出るらしいですよ」
木戸が少しだけ意地悪そうに笑う。
「早起き、負けませんからね」
「ふふ、いい勝負です」
夕暮れ。
帰り道、千紗はふっと空を見上げた。
グレーだった雲が、少しオレンジに染まっている。
たった数百円のスイーツ。
それがくれたのは、甘さだけじゃなかった。
ルーティンの真ん中に、小さな楽しみがひとつ。
その向こうに、そっとつながる誰かがいる。
カラメルのように、あとからじんわり染みてくる。
そんな水曜日が、これから続いていく気がした。

