夜空に咲いた花火から始まり、偶然の再会を重ねながら距離を縮めていく琴美と隼人。
レンズ越しに季節の変化を見つめるふたりの時間は、やさしくて、どこか切ない光に満ちています。
夏の終わりに触れるときの胸の痛みや、誰かの想いを受け取る瞬間が静かに描かれた物語です。
夕暮れ時や、季節の変わり目に気持ちが揺れるときに読みたくなる一編です。
こんなときに読みたい短編です
- 読了目安:7分
- 気分:切ないけれどあたたかい/季節の移ろいを感じたい
- おすすめ:写真が好きな人、夏の終わりの空気が胸に残る人、別れのやさしい余韻に触れたい気分のとき
あらすじ(ネタバレなし)
花火大会で出会った琴美と隼人は、偶然の再会をきっかけに毎週末一緒に写真を撮るようになります。
モノクロの古いカメラを大切に扱う隼人の姿に、琴美は少しずつ惹かれていきますが、彼の表情にある影の理由はまだ知りません。
季節が夏から秋へ変わり始める頃、隼人は「来週で撮影を終わりにする」と告げます。
揺れる気持ちを抱えながら迎えた最後の撮影の日、ふたりは静かにその時間を収めていきます。
琴美のもとに届いた一枚の写真が、夏の終わりと余韻をそっと物語ります。
本編
花火が夜空に咲いた瞬間、琴美は思わず息をのんだ。
光の粒が川面に落ちて、波にゆらめきながら消えていく。その一瞬を、カメラのシャッター音が切り取った。
振り向くと、少し離れた場所でファインダーを覗く青年がいた。
「すごいね、写真、きれいに撮れそう?」
声をかけると、青年は少し照れたように笑った。
「うん。けど、写真って難しいよね。見たままを残せないから」
「でも、残せないからこそ、撮るんじゃない?」
琴美の言葉に、青年は少し驚いた顔をして、うなずいた。
それが、隼人との出会いだった。
花火大会の翌週、琴美は偶然、駅前のカフェで隼人を見つけた。
手には古いカメラ。モノクロのフィルムがのぞいている。
「また会ったね」
そう言って笑うと、隼人は「運がいいのかも」と答えた。
それから毎週末、ふたりは写真を撮り歩くようになった。
商店街のシャッター通り、夕方の堤防、大学の裏庭に咲くヒマワリ。
季節が少しずつ秋へ傾くにつれ、空気の色が変わっていくのを、二人はレンズ越しに感じていた。
「琴美って、撮られるの平気なんだね」
「うん、なんか、隼人のカメラなら大丈夫」
「どうして?」
「優しいから。撮るときの空気が」
その言葉に隼人は一瞬、目をそらした。
彼の表情に、わずかな影が落ちたことを、琴美はその時まだ知らなかった。
ある日、風が少し冷たくなりはじめた夕暮れ、隼人が言った。
「来週の撮影で、終わりにしよう」
「え?」
「約束してるんだ。この季節までしか写真を撮らないって」
琴美は意味がわからなかった。
「どうして?」
隼人はしばらく黙ってから、カメラを見つめた。
「兄がいたんだ。三年前、同じカメラで写真を撮ってて、事故で亡くなった。
それ以来、夏が来ると、兄の分まで撮って、秋になる前にやめるって決めたんだ」
言葉が出なかった。
風が頬をかすめ、木々の影が揺れていた。
「だから、これで最後にしよう。ちゃんと終わりにしないと、前に進めない気がする」
琴美はうなずいた。
だけど、その夜、胸の奥に小さな痛みが残った。
一週間後、最後の撮影の日。
ふたりは高台の公園にいた。
街の灯りが遠くに滲み、空には早い月が昇っている。
隼人はシャッターを押した。
「これで、終わり」
「…そっか」
琴美は笑おうとしたけれど、目の奥が熱くなった。
「隼人、ありがとう。写真、楽しかった」
「俺も。琴美と歩いた景色、ちゃんと覚えてる」
少し沈黙が流れたあと、隼人が言った。
「琴美、最後に撮らせて」
彼がカメラを構え、シャッターを切る。
風が吹き、琴美の髪が少し舞った。
その瞬間、どこかで虫の声がして、夏の終わりがはっきりと胸に落ちた。
秋の風が冷たくなった頃、琴美のポストに一通の封筒が届いた。
中には一枚の写真。
夕暮れの坂道で笑う自分が写っていた。
裏には、小さな字でこう書かれていた。
——風が冷たくなる前に、君と出会えてよかった。
琴美はしばらくその写真を見つめていた。
窓の外では、金木犀の香りがほのかに漂っていた。
胸の奥に、あの日のシャッター音が、静かに響いていた。

