交代で与えられたのは、たった3分。
ボールに触れたのは一度きり——そんな現実の中で揺れるプロサッカー選手・悠翔。
かつて天才と呼ばれた過去と、今の自分とのギャップに苦しむ彼が、少年との出会いをきっかけに“短い時間でも届けられる価値”を見つけていく物語です。
頑張りが報われない日や、自分の立ち位置に迷ったときに静かに寄り添ってくれる一編です。
こんなときに読みたい短編です
- 読了目安:7分
- 気分:熱く前向き/しみじみ心が温まる
- おすすめ:努力がなかなか評価されないと感じている人、スポーツに励む人や応援する側の人、小さな役割に光を見つけたいとき
あらすじ(ネタバレなし)
かつては“天才”と呼ばれた悠翔だが、怪我を機にベンチメンバーの日々が続いている。
時間稼ぎの交代で立つピッチ、わずかなプレー機会——その現実に気持ちが沈む中、地元の少年サッカー教室でヒナタという少年と出会う。
「少しの出場でも、全部見てますから」
その言葉に、悠翔は自分のプレーが届く先を思い出し、短い時間に込められる“意味”を取り戻していく。
そして迎えた次の試合、悠翔は限られた時間で小さな奇跡をつかみにいくのだった。
本編
「交代、10番!」
その瞬間、悠翔の心臓が跳ねた。
ベンチから立ち上がると、タッチラインの向こうで味方のサイドバックが足を引きずっていた。
試合時間は後半アディショナルタイムに入る直前。スコアは1-0。時間稼ぎの交代だった。
ピッチに立ったのは、たった3分間。
ボールに触れたのは一度きり。敵のロングボールを頭ではじき返しただけだった。
試合終了の笛が鳴り、観客の歓声がスタジアムに響き渡る。だが、悠翔の胸にはわずかなむなしさが残った。
——これが、今の自分。
かつて天才と呼ばれた高校時代。華々しいプロデビュー。だが、怪我をきっかけにコンディションを崩し、ベンチを温める日々が続いていた。
練習では誰よりも走っている。必死に食らいついている。
でも、試合に出られなければ、評価はされない。それがプロの世界だ。
翌日、チームの広報から言われた。
「今度のオフ、地元の少年サッカー教室でコーチ役、お願いできないかな?」
正直、気が進まなかった。
けれど、断る理由もなく、悠翔は渋々引き受けた。
当日、河川敷のグラウンドには、小学生たちが元気な声を上げながらボールを追っていた。
「うわ、本物の悠翔だ!」
「テレビで見たやつだー!」
無邪気な歓声に迎えられ、悠翔は少しだけ笑った。
子どもたちの中に、ひときわ小柄な男の子がいた。
名前はヒナタ。足が遅く、ドリブルもおぼつかない。だが、誰よりも真剣な目をしていた。
「悠翔さん、どうしてプロになれたんですか?」
休憩中、ヒナタが聞いてきた。
「……毎日、ボール蹴ってた。誰にも負けたくなくて」
「僕、足遅いけど、試合に出たいです。出られるの、いつも後半のちょっとだけ。でも、出たときに、みんなに“ヒナタが来た!”って思ってほしいんです」
悠翔は、胸を打たれた。
——それって、自分と同じじゃないか。
ベンチでどれだけ悔しくても、交代の一瞬にすべてをかける。
観客の目に残らなくても、自分の中にだけは“何かを起こした”と思えるプレーを。
それが、ヒナタの目にも映っていた。
教室が終わり、ヒナタは言った。
「テレビで悠翔さん見てるとき、僕も頑張ろうって思えます。ちょっとの出場でも、僕、全部見てますから!」
言葉が、胸に刺さった。
“見てくれてる人”がいる——それだけで、救われる日がある。
その週末、試合はアウェーでの接戦だった。後半35分、ベンチから名前が呼ばれる。
「交代、10番!」
ピッチに立つ瞬間、悠翔は小さく深呼吸した。
“今日も、たった数分かもしれない。でも——”
ボールが来た。
敵陣でのパス交換の中、悠翔はわずかなスペースを見つけて走り込んだ。
味方のスルーパスを、つま先でコントロールし、ワンタッチで中央へクロス。
走り込んだFWが、そのままゴールに蹴り込んだ。
スタジアムが揺れた。
悠翔の名前が、実況に呼ばれた。
「アシストは10番、佐倉悠翔!」
両手を掲げてベンチに戻ると、監督が小さくうなずいた。
試合後、スタジアムの外で一人の少年が母親に手を引かれて立っていた。
ヒナタだった。
「見てたよ! クロス、すっごくかっこよかった!」
「……ありがとな」
ベンチに座る時間も、プレーできる時間も関係ない。
自分を見てくれる誰かがいて、何かを感じてくれるなら、それがプロである意味だ。
3分間の出場。
でも、その3分間には、確かな“物語”が宿っていた。
朝焼けの中、グラウンドに響く子どもたちの声が、今日も悠翔の背中を押してくれる。

