【短編小説】また、段ボールの春

ドラマ

春は、いつも段ボールのにおいがする。

ガムテープの音、家具を運ぶ手伝い、積み上がる箱の山——悠人にとって、それはもう慣れっこの風景だった。転勤族の父を持つ彼は、小さい頃から引っ越しを繰り返していた。

「また春が来たなあ」

中学二年になったばかりの春、悠人は見知らぬ町のアパートの窓から、桜並木を見ていた。

「次は何人目の“親友”を作るんだろう」

心の奥に、少しだけ冷たい声が響く。どうせまたすぐに別れる。だから、最初から深入りしない方が楽なのだ。

新しい学校でも、自己紹介は淡々とこなした。
「転校生」という響きにクラスがざわつくのも、もう慣れている。

その日、クラスにはもう一人、転校生がいた。

名前は葵。自分とは逆に、数ヶ月前からこの町に来ていたという。だが、なぜか“まだそこに馴染めていない空気”をまとう彼女は、教室の中でひとり、風のように静かにいた。

話す機会があったのは、図書室だった。

昼休み、誰もいない静かな空間で、悠人は数学の参考書を開き、葵は歴史の資料を黙って読んでいた。

「……転勤、多いんだね」

ふと、葵が言った。

「うん。もう、何度目かわかんないくらい」

「そうなんだ……うちも父親の転勤でここに来たけど、今は母さんと二人」

その言い方がどこか引っかかった。

「……そっか」

「こっちは、来る人。私は、いつも“残る側”だった」

その一言で、悠人の中に少しだけ波紋が広がった。

春は、来ることばかりじゃない。残される春もあるのだ。

その日から、ふたりは時々、言葉を交わすようになった。放課後の帰り道、交差点の信号待ち、昇降口の靴箱前。

でも、距離は決して近くなかった。
どこか、“この春も終わる”と、どちらも無意識に予感していたから。

そんなある日、部屋の片隅に積まれた段ボールの中を整理していた悠人は、一通の手紙を見つけた。

宛名はなかったが、間違いなく子どもの字だった。

『いつか、また君と同じ学校になれたらいいな。ぼくは、ここにいるよ。名前は……』

紙は途中で破れていた。

何年前の手紙だろう。誰が書いたのかもわからない。でも、その文章の“ひとことの願い”が、胸に刺さった。

翌日、悠人はその手紙を、学校の帰り道で葵に見せた。

「この間、段ボールの中から出てきたんだ。昔、どこかの町で友達が書いてくれたやつ……かもしれない」

葵は黙って読んだ。そして、ぽつりとつぶやいた。

「誰かの言葉って、時間がたっても届くんだね」

その言葉に、悠人は大きくうなずいた。

「うん。……たぶん、それだけで十分なんだと思う」

春は、毎年やってくる。そして毎年、別れがある。
だけど、誰かとの時間が“残って”いれば、きっと、どこかでまたつながる。

それから、悠人は少しずつ、自分の“場所”を作っていくことを恐れなくなった。葵とも、ときどき図書室で話した。文化祭では一緒に作業をした。帰り道には、たまにくだらない話で笑った。

その季節が終わるころ、父に異動の話が舞い込んできた。

「次の春も、やっぱり来たか」

悠人は、部屋の段ボールを見つめてつぶやいた。けれど、去年までとは違った。

最後の登校日、悠人は一枚の手紙を封筒に入れて、葵に渡した。

『ありがとう。また、どこかで会えたら——今度は、ちゃんと名前を呼ぶよ。』

葵は、笑ってうなずいた。

「じゃあ、私も手紙を書くね。届かなくても、きっといつか読んでくれるって思って」

春の風が吹いた。

段ボールの中にしまわれた手紙は、今年もまた一つ増えた。

けれど、その箱はもう、別れだけじゃなく、出会いも詰まった宝箱になっていた。

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