鋼川(はがねがわ)はかつて、鉄の匂いが風に乗って漂う町だった。山あいで採れる鉄鉱を精錬し、鍛冶を重ね、工場の煙突が空へと灰色の旗をひるがえしていた。
だが今は、煙突は止まり、工場は錆びつき、かつて賑やかだった商店街にはシャッターが降りている店が多かった。人が減り、訪れる人も少ない。町の灯りがひとつ、またひとつと消えていった。
東京で働く青年・裕司は、大学を出て数年、都会での暮らしに疲れを感じていた。夢だったものづくりもいつしか事務作業に追われ、本来の自分を忘れかけていた。ある日、祖父から連絡があった。「工房を継げ」と。驚きと戸惑いを抱えながら、裕司は鋼川に戻る決意をした。
祖父の古い鍛冶工房は、小さな庭と焼け焦げた鍛鉄炉、カンナやハンマーが積み重なった作業台がそのまま残っていた。祖父・幸雄は、目を輝かせて言った。
「お前の手で、この火をもう一度灯してほしい」
裕司はまず、小さな品から作り始めた。町の住民の依頼で、錆びた門扉の飾り金具を直し、ガーデニング用の鉄製プランターを作り、小さな椅子を一脚だけ試作する。手は真っ黒になり、鉄屑で指が切れることもあったが、「自分で形を創る」という感覚が経年でくすぶっていた心を少しずつ温めた。
最初、町の人々は裕司の動きを冷ややかに見ていた。工房の周りを子どもが遊ぶ声は少なく、用がなければ商店街を通り過ぎるのみ。だが、ある日のこと。
町の中心にある古びた交差点に、小さな鉄の花のモニュメントが設置された。それは裕司が試作品として作ったものだった。花びらの形をした鉄板が、朝の光を透かして影を描く。人々は足を止め、見上げた。
「これ、あの鍛冶屋さんの作ったものか?」
「きれいじゃないか」
それがきっかけだった。町の人たちは口々に工房を訪ねて、注文が舞い込んだ。花の形のドアの取っ手、小さな犬のリード掛け、看板の飾り。裕司は夜遅くまで火をおこし、鉄を叩いた。火花が風に舞い、鍛冶の音が久しぶりに町に響いた。
ときには、祖父が冗談っぽく言う。「お前、火花で町の星でも作っておるんか」と。裕司はその言葉に笑いながらも、心の底で「鉄町ルネサンス」が始まっていることを感じた。
ある日、小学生の女の子・菜月が工房を訪れた。学校の図工で「鉄を使った作品を作る」という課題があり、手伝ってほしいと言う。裕司は教えることにした。子どもと一緒に鉄板を切り、やすりをかけ、塗装を施す。菜月の笑顔が鉄の光と混ざって、裕司はこの仕事の本当の意味に気づいた。
商店街でも動きが出てきた。シャッターに鉄細工を施すアートウォールができ、夜になるとそれを照らすランプも取り付けられた。地元の有志が「鉄町ナイトマーケット」を企画し、裕司や他の職人が小物を出品する。人が集まる場所が、また戻ってきた。
だが、すべてが順調なわけではなかった。資材の値段は上がり、人手も足りない日もある。裕司自身、失敗作を大量に出す日には落ち込み、鍛冶炉の灰に自分の無力さを思い知らされた。
そんなとき、祖父が静かに裕司の肩に手を置いた。
「炎を消すな。炎があれば、また町は熱を取り戻す」
裕司はその言葉に、もう一度火をくべた。
文化祭の日、町では「鋼川フェスタ」が開かれた。鉄町アート展、鉄鍋料理、昔鉄工場で働いた人たちの思い出話の時間。裕司は工房で作った大きな鉄の扉飾りをステージに展示した。人々は感嘆し、写真を撮った。子どもが扉飾りに触り、「これ、すごく重そう!」と言えば大人が笑う。
夜、火祭りのように小さな炎がともり、工房の鍛造炉が特別に灯された。裕司はハンマーを手に、鉄を叩いた。火花が空気を焦がす音がした。鍛造の速さも、音も、すべてが町の鼓動のように感じられた。
そのとき、商店街の明かりが一斉についた。人々が手を振って呼びかける。「裕司!」。彼はほんの少しかがんで応えた。
町に戻ってきた、昔の働く音。鉄を叩く音。人の声。灯り。
鋼川は、少しずつ、生き返っていった。
夜空を見上げながら、裕司は思った。
「継ぐってのは、昔に戻すことじゃない。新しい空気と、人の声を火花に込めることだ」
そうして火は、ゆるやかに、しかし確かに、町の未来を照らしていた。

